(前回までのあらすじ)
「早飯」が美徳の放送業界に足を踏み入れて10余年、カオルは食事に相当な時間を要することに悩んでいた。「まだ食ってるのかよ~」と先輩Dに睨まれ、「あ、僕が領収書もらってきます」とカメラマンに支払いをさせ……。これでは出世に響くと不安にかられたカオルは、カツ丼をエサに早食いの名手のテクを盗もうとしたり、スタッフの食事時間を長引かせるべくやたらと話を盛り上げたりと、「人並みの食事時間」を獲得すべく日々努力してきたのだった。
[箸使い]
油断していた。自分の食事時間の遅さは、この業界ならではのモノと信じていた。しかし、その遅さが「人並みはずれていた」とを実感する出来事が立て続けにあった。まずは女性内勤スタッフと和食のコース料理を食べたときのこと。どの女性もよく喋りかつエレガントに箸を運んで次々と料理を平らげる。新しい料理がサーブされると、当然のように皿は交換されていく。ところが、自分の席の前には、前菜からメインまでの皿が重なり合うように置かれたまま。「ああ、早くメイン食べないと冷めるなあ」と頑張った甲斐があって、皆から遅れること10分でようやくデザートにたどり着いたのだった。
「まあね、現場にはあまり行かないけれども彼女たちもこの業界のスピードで生きているから」などと思っていたのだが、普通のご家族とステーキランチを食べた時にも同じような羽目に陥った。みんな食後のコーヒーを飲んでいるというのに、まだ茶碗のご飯と漬物とおつゆと肉(旨かったなあ)と戦っていたのである。なぜだ?なぜこんなに人並みはずれて遅いんだろう?これは「我が家の躾の問題」に違いない。意を決して親に聞いてみることにした。
実家での久しぶりの夕食である。兄妹も父も仕事で不在なので、母子二人きりだ。お互い気まずいのでテレビを点ける。占い師の大先生がありがたいご託宣を述べている。
カオル: あのさ、自分、結構ご飯食べるの遅いよね?
母: そう?
という母は、テレビに釘付けのままご飯を口に入れる。
カオル: この前さ、よその人とご飯食べたら10分ぐらい余計に時間がかかって……
噛むスピードとか普通だと思うんだけど、どうしてなんだろうって。
久しぶりの魚フライを箸でちぎり口に入れる。旨いなあ、ソースはやっぱりイカリだねえ。
母: 仕方ないわよ、それ……やっぱり言うこと当たってるなあ。
母は大先生のお言葉にうなづきながら塩昆布を取って口に入れた。
カオル: ちょっと、ねえ、なんで仕方ないの?
母: えー、だってほら。
カオル: 何?
母: あんた、噛んでるときお箸置いてるでしょう?
カオル: あ……
魚フライを口に入れた後、私は箸を皿の上に載せてモーグモーグしていたのだ。そして手は腿の上に……
母: ね、あんたのは本当に「箸休め」になっているの。それで遅いの。
次回につづく
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